2008年3月29日土曜日

mixiに入れない

何回やっても何回やってもソフトバンクじゃ入れないよー
設定かえても入れない
携帯かえても入れない

次は入れるように招待状は残しとくー

合宿の問題について2

顧問に発見されたことについて。

中3の諸君は見つかる、見つからないの区別ができていなかったのではないか。
実際、発見されるかされないかということは行為の有無からは独立したものであり、どうでもよいことだと思われるかもしれないが、少なくとも私はそういうものではないと考えている。
この問題は物事の善悪といった観念にかんするもんのであり、意味附与性、意味内在性といった思想にも絡んでくるので少し述べたいと思う。

やや突っ込んだ話。
そもそも行為自体に意味が内在しているか、それとも行為自体には意味がなく、人間が意味を附与しているかという問題である。
少し考えれば意味附与であることは明白なのだが(仮に現象に意味が内在していたとしても現在の人間がそれを感知することは不可能である)意味内在というものが信じられている時代もあった。
プラトンのイデア論などはそういった思想である。
しかし、今でも人間は無意識に意味内在性に支配されているといってもよい。
たとえば、首を振るといった仕草。
これをみるとわれわれは否定の意を汲むことになるのだが、別に行為自体に否定の意があるわけではない。
その証拠に外国(たぶんブルガリアかな?)では首を振るという仕草には肯定の意味をもたせる。
このように現在では意味附与といった思想が主流である。

こういった思想のもとで・・が顧問に発見されるということは悪という意味が附与されているといえる。

続く。

2008年3月27日木曜日

意味不明な小説の解説

まあどうでもよいことなのだが一応やると言ったことはやります。

要約すると、入試というのは勝負の場であり、合格を譲るなんていうことは言語道断だ、とうことらしいです。
これに対する異論は2つある。
説明したのだが理解されなかった。
人間同士は絶対に理解できないというのが私の持論なので、ある意味これを確かめる結果となってしまった。

異論について話を進める。

1つは入試は勝負の場であるということ。
私にとって入試のは勝負の場なんかでは決してない。

これは文化の違いだと思う。
というのは、私が将棋をやっていた影響だろう。
将棋というのは1対1で戦うものであり、まさに勝負といえるだろう。
人間対人間の未来をかけて争う真剣勝負である。
この思想はプロ独特かもしれない。
アマチュアとは一線を画するだろう。
こうしたことを日常的にやっていると入試は非常にぬるいものだと感じるようになる。
努力さえすれば受かるじゃないか、と思ってしまう。

この努力さえすれば受かる、というのはおそらく私が間違っているのだろう。
しかし、私は努力をして落ちた人間を知らない。
というか、落ちた人間は努力が足りないと思っているのだろう。
この考えは早くも是正したいものではある。

2つ目は合格を譲るというところ。

時間がないのでまた書きます。

合宿の問題について

睡眠をとって元気になったので問題について考えてみたい。
今回の合宿では2つの問題があった。
それぞれについて考察してみよう。

まず苦情について。
これについてはモラルの低下としかいいようがない。
そもそも暴れることに対しての罪悪感といったものがないのではないか。
少なくともこの点に関してはわれわれは同年齢の際にもわきまえていた気がする。
というかそういう流れがあったというべきか。
そういったことに対する注意は仮に態度が厳然としたものでなかったにしても、うるさいたびに行われていたと思う。
中学生がそういうことに気づくのはやはり何度も注意された結果ではないだろうか。
初日と二日目に私は参加していて、実際に問題の部屋の隣である高1の部屋に泊まった。
その際にもやはり騒いでいて、部長に注意を促すよう指示し、実際に注意しにいったのだがたしかに注意はぬるく、再発防止に貢献するほどのものではなかったようだ。
高1のみんなは相手が自分より年下であることを再認識し、相手が理解しているかどうかを確認する必要があったということだろう。
このくらい言えばわかるだろう、というのは自分に対する甘えだと私は認識している。

次に顧問に発見されたことについて。
は、また今度ということで。

2008年3月26日水曜日

また合宿に出た

また合宿にでた。
なんか問題が起きて大変そうだった。
オレもなんか風邪引いた。
のどが痛いのでねます。

2008年3月23日日曜日

というかオレの意味わからない小説にコメントを下さった方は誰だったのか。笑
ご指摘の通りです。

まあ解説は三日後くらいか・・・・

合宿に出てた

疲れました。
ということでまた今度。笑

2008年3月21日金曜日

バスケがしたいです・・・ (なんかやおいっぽい)

もうネタが尽きました。笑

そういや私に合コンを設定しろという無茶振りが・・・。
誰か来たい人がいれば私に言ってください。
浪人者とか誘いにくいしなあ・・・。

明日はでかけて書けないっぽいです。


せっかくなので倫理的な話を。
某氏とちょっとした口論になったんですけどね。
某氏に読まれるならあんまり書きたくないですがその可能性は低いので思い切って書きます。
まあ以下の物語を読んでください。


今日は発表の日だった。
赤木は予想通り合格していた。
彼は合格でも不合格でも学校に行って先生と話すつもりだったので学校に出向いた。
学校に行くと、習った先生が集まっており合格を祝福してくれた。
気まずいと思っていた先生もそんなそぶりは全く見せず、赤木はとても安心し、また合格の実感もわいてきた。

職員室の奥まで進んでゆくとそこには小暮の姿が。
なんと彼は目に涙を浮かべているではないか。
(しかたのねえやつだな。合格したくらいで泣くんじゃねえよ。)

小暮の方へと近づいていく。
赤木もここで徐々に異常に気がつきはじめた。
どうやら小暮の涙は嬉し涙とかいう類のものではないようだ。
(なんであいつが・・・?なんかの間違いだろ?)

「ああ、赤木。どうだった?俺は落ちたよ・・・。」
「俺は合格だった。」
「そうか・・・。」

赤木には信じられない話だった。
赤木にとって小暮は秀才であり、また人格者以外の何者でもなかったのだ。
たしかに小暮は超難関校を受験しており、もしかしたら落ちるかもしれないと赤木も理性で分かっていた。
しかし、彼にはその結果が他のどんなに優秀であった者の不合格よりもこたえた。
小暮は進路に迷っており、最終的に難関校を受けることにしたのが、場合によっては赤木、つまり彼自身の大学を受験することもありえた。

(なんであいつが・・・・。受験と言うものは言いようがないほど理不尽なものだな・・・。俺なんか浪人してもいいから俺の代わりに大学に行けばいいのに・・・。)


まあなんか小説風にしてみました。
この中に俺が人間としてやばいと罵られる倫理的問題があります。
それはどこでしょう?
コメントしていただけるとありがたいですね。

佐藤優違い

どうやら自己紹介の「佐藤優」て誤解を生んだようで。笑
一応、外交官の「佐藤優」ですよ。
まあAV女優の弟子っていうのもなかなかですけどね。笑

2008年3月19日水曜日

筆記試験

筆記試験について述べましょう。

筆記試験は英語または数学でした。
他の科目の講師を希望する者も英語か数学です。
ここから推測できるのは実は筆記試験はそこまで重要でないのではないかということです。

私は数学希望だったので数学を解きました。
大問3問で時間は40分。
大問1は小問4つにわかれていました。
つまり6問あったわけです。
これらの問題は全て某大学の入試に出てもおかしくないレベルだと思いました。
私は小問3つと残りの問題の指針だけを答えました。
入試なら十分合格だと思いましたが、大問2つ完答した人もいたようなので平均くらいでしょうか。
まあ私の科類ならきっと2つは完答しないとダメでしょうね。
全て解ききるにはきっと数2Bのセンターを20分くらいで解ききれないと無理なんじゃないかとおもいました。

まあ採用試験はこんな感じできっとダメでしょうね。
クラスを持ってみたかったので残念です。

2008年3月18日火曜日

昨日の続き

まあ私個人の理由としてはそんなところです。

他の人の理由というのはどうでしょうか?
友人へのメッセージであったり、ストレス発散だったりするのでしょう。
それは人それぞれでいいと思います。


それはさておき。
某塾の採用試験について。
これは興味のある方が多いでしょう。

試験は主に面接と筆記試験。
面接は一分間の自己PRです。
私は先に述べたとおり話が分散してしまい、成功とは言いがたかったです。
これは四人ずつの集団面接だったので、他の人が述べていたことも聞けました。
おそらく私の四人組は私以外は理3が2人、それ以外の理系が1人、そして私です。

ちょっと状況説明をしましょう。
全部で集まったのは20人弱、採用は2,3人だと思われます。
というのは、何かで某塾の採用は某大学の学生で十倍と聞いたからです。
さらに当日、面接官・・・というか某塾の社長さんですね・・・が今回の採用人数は普段と比べても非常に少ないとおしゃっていたわけです。
まあ、2、3人が妥当ではないでしょうか。
試験前の周りの会話から察するにおそらく理3の方は少なくとも5,6人はいたでしょう。
つまり理3の人数よりも採用人数の方が少ないわけです。
こうした状況に気づいたのは帰りの電車の中でしたが。
まあこの状況に気づいていれば面接で滅茶苦茶言ったでしょうね。

こうした状況にあるわけです。
某塾は理3を重視している(給料も理3だけ別格でした)わけですが、理3の方も予断を許さない状況であったというわけです。
ですが、理3と思われる方々の面接にはびっくりしましたね。
この塾にはお世話になったので恩返しがしたい。部活で培ったものというのは講師をするにも活きるだろう。
こんなことを2人とも言っていました。
その2人が緊張しているのは声が震えているのを見ても明らかですし、きっと面接もはじめてだったのでしょう。
ですが、これでは塾側も困りますよね。
なんといってもこれでは判断のしようがない。
私が面接でいったことというのは、現在某塾の合格率は5,6割である。私はこれを7割にあげることが可能であると思う。その方法というのは、まずは道徳観念を学ばせることである。この塾には進学校の生徒が集まっており、大学に合格さえすれば他のことはある程度どうでもよい。そのように考えている生徒が多いと私は思う。そうした誤った考えを直すことがじつは合格実績を上げる近道であり、それには将棋をしていて礼節をおもんじてきた私が適任なのではないか。
このようなことをいったわけです。
まあ嘘八百って感じですね。
しかし、こうした意見ならまだ判断のしようがあるのではないか。そう思いました。

筆記試験についてはまた次ということで。

2008年3月17日月曜日

なんでブログを書くのだろか?

なぜブログを書くことにしたか?
それはアウトプットの場所が必要だと思ったからです。
私にとってアウトプットの場所というのは普段の会話くらいしかありませんが、普段の会話というものは体系だっているわけもなく、日によって言うこともかわるものです。
そうしたものではなく、少しは自分の思考といったものを相手にわかりやすく説明することが重要だと思いました。
というのは、先日某塾の講師採用試験に出向いたわけです。
面接なんて初めてだったので、緊張してしまい浮き足立ったことを言ってしまいました。
こういった事情もありブログでも書くか、とそうなったわけです。